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考えていることをつらつら書きます。

シックスナイン

69って数字あるじゃないですか

思い浮かぶのは

性行為のワンシーン

互いの身体を反対方向にむけて

触り合う

互いが奉仕し奉仕される

目の前にあるのは

湿った性器

相手の顔を見ることもなく

ただただ目の前のモノを

夢中で求めるだけ

その行為はたしかにお互いの

身体に異常を引き起こしているのに

相手の異常な感覚は自分では体験できず

自分と似たような感覚なのだろうと

推測することしかできない

おなじことをして

おそらく同じように感じて

それなのに

結局相手そのものにはなれない

不思議な行為

でも

すべてのコミュニケーションは

根本はきっと

69そのもの

自分はこうされたらこう思うから

相手もそう思うだろう

というただの推測で

あいての一部のみを

ただただ夢中で求めあう

顔を見ることができないから

相手になることはできないから

そのひとがなにを考えてるかとか

わからないまま

推測に頼るのみ

そう考えると

少しさみしいけれども

69って数字のカタチは

綺麗というか

安心感があるから

きっと

コミュニケーションも

69でいいのだろう

なんて

かんがえてみたりして

恋するナイフ

高校二年生に始めて付き合った彼氏と別れてから


約五年がたちました


それ以来

まともに彼氏ができたことがありません


デートに誘われないわけじゃない

好きな人だってできる

まわりに男がいないわけじゃなくて

むしろ、まわりには男のほうが

多いくらい





私は自分を隠すことが

一番の苦手で

鞘のない

剥き出しのナイフが歩いてるような

そんな感じです


きっと見るひとから見たら

ただのオモチャのナイフでしか

ないのだろうけれど


オモチャの中では

多分殺傷能力が高めです


血を出してまで

ナイフに抱きつこうとする

そんなひと

そりゃいないですよね


ナイフでは切ることのできない

空気だとか水だとか

自分をくるんでくれそうな

そんなものが

ほしいんです


自分のために血を流す

そんな姿をみて

私は笑ってしまうから

それを面白がってしまうから


いっそ切れないものに

ぶつかって

それにそのまま

包まれたい


同じ刃物みたいなひとを

好きになることが

多いけれども

刃物同士でぶつかってても

なりひびくのは

キンキンという

痛痛しい

音ばかりで

さいごには

どっちも刃こぼれして

おわるんだなって


血を流さずに

私をくるんでくれる

サムシングを

探しています

絶対的なアナーキズム~現実逃避二日目~

たった20年ちょっとの人生ですが

人生訪れた中で一番好きな場所が

葉山です。

 

一日目に見た海に飽き足らず

二日目も海を見ていました。

 

AM11:00

朝ホテルをチェックアウトし

電車に乗って逗子へ

 

葉山には逗子からバスがでていますが

行きは乗らず

お散歩がてら歩きました。

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歩いていく中で海はどんどん表情を変えていきます。

 

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葉山の海は

光の海

 

目的地である美術館へとたどり着いた私は

真っ先にとある場所へ向かいました。

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写真では伝わらないかもしれないですが

手前に見える鮮やかな緑が

光の海の中に立っている一本の松が

遠くに見える空と海の溶け合いそうで溶け合わない境界が

一つ一つが

パズルのピースみたいにかっちりはまって

素晴らしい絵になるんです。

 

この神奈川県立美術館葉山観は美術館から海を眺めることができ

そして砂浜に向かうことができます。

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美しい影が地面に落ちる松林を抜け

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坂を下ると

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いろいろな海があるけれども

日本語ではただ海としか表現できない

海はその名前によってかろうじて統括されながらも

決して屈することはない

 

陸とはちがって

絶対的な無政府主義を持っているんです。

 

海に入るまでには時間がかかりました。

そこに私が入ることで

海は変化してしまう。

そんな無駄でバカなことばかり考えていました。

 

でも、見ていたら、そんな海と一緒になりたくて

靴を脱いで

裾もまくらぬまま

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ただただ立って

陸を侵そうとしては、怖気づいて引いていく

そんな彼女を感じていました。

 

太陽が雲に隠れ、はっと我に返り

このままだと現実に戻れなくなりそうだったので

 

美術館で、宮崎進という芸術家の展覧会を鑑賞

今までいた海とは対照的に

彼は陸を描いていました。

キャンバスに張られた、赤く塗られた袋の数々

春になり、シベリアの固く凍って死んだ大地から

生命が息吹く瞬間

死という暗く冷たいなかから生が湧き上がり

そしてまた冬がくるという

命の円環の1シーン

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展覧会を見終え

葉山を去るのが

名残惜しくて仕方がなくなった

午後三時

 

私は家へと帰る決心をしました。

 

 

心が風邪をひいたとき

真っ暗闇のなかで

出口の方向はわかっているのに

そこに光がないから

進むにも進めない

そんな状態になります。

 

でも

今回の旅で

海がすこしだけ

光をくれた

そんな気がします。

 

 

 

存在の他愛なさ ~現実逃避一日目~

ふと思い立って

私は海へ逃げました。

 

このところ、

春の空気が私の心を

侵していました。

 

うららかな外の空気がひどくわたしの体と心には堪えたのです。

 

毎年四月と五月は、うつうつとしていて

 

そんな空気を断ち切るために

 

太陽に抗うために髪を深紅に染め、

毛先にたまった黒い垢もすべて切り落として

一冊の本と、買ったばかりのカメラを片手に

電車に飛び乗りました。

 

ただ海を見ることしか考えていなかったので

観光らしきものはほとんどしていません。

 

一日目の午後三時から二日目の午後三時まで

二十四時間の逃避行の記録です。

 

一日目

PM3:00~4:00

北鎌倉円覚寺

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人のいない静かな場所を求め、最初に降り立ったのは

幽玄の地でした。

生憎、舎利殿は遠くからしか眺めることはできず。

時のとまったようなこの空間が、

あふれんばかりの緑と花

線香の煙と匂いにみたされ

ただただ、延々と流れ続ける空気と水の音だけが響いていました。

 

ふと、線香の煙の奥に死の世界を垣間見たような気がしました。

なぜ、人は白い小さな花と、緑と、煙だけで死をイメージするのでしょうか。

その場所が明らかにほかの場所と空気が違っていたのはなぜなのでしょうか。

世界はこうも様々な相を見せるのかと

ある種の恐怖心を抱きました。

 

 

 

PM4:30~5:00、6:00~7:00

温泉があると聞き

江ノ島電鉄に乗り、稲村ケ崎

 

駅を降り、坂を下ると

海が広がっていました。

 

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この日はもともと海をみる予定はなかったのにもかかわらず

途中で温泉をはさみ計2時間近くいました。

 

持って行った一冊の本を取り出し

最初の4ページをゆっくりと読んでいました。

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この本を読むのは人生で四度目になります。

高校生の時分に出会って以来、

毎年、四月から五月にかけて、豊饒の海4巻を

読んでいます。

 

第四巻であり、三島の絶筆の書となった

天人五衰の冒頭4ページには

皐月の海が描かれています。

 

海は絶えず攪拌され、じっとしていることは自然の悪をよびさますだろうと

海の上には生起の絶え間がないと

存在の鐘がいつも鳴り響いていると

 

4度目は

その海を

絶えず陸を侵す波の音を聞きながら

感じたいという気持ちが私を海に向かわせました。

 

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海は

生の根源

だからこそ

子宮であり

 

大地は

その体

だから母と呼ばれるのかもしれない

 

乳海攪拌のインド神話に思いを馳せながら

そんなどうでもいいことばかりを考えていました。

 

水は冷たいはずなのに

見ていた海は

女性器のナカのようにあたたかくて

 

そのあたたかさのなかで素直に泣くことができました。

 

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陽も傾いてきたころ

わたしは疲れを感じ

ホテルへ向かいました。

 

不眠で悩んでいましたが

この日はぐっすりと眠ることができました。

 

涅槃寂静

二日間にわたる逃避行から現実世界へと戻ってきました。

 

逃避行のことは次書くとして

今回はコピーのことかきます。

 

やったからには反省しないと次に進めない性格です。

 

某広告雑誌のコピーコンペに去年の10月ごろ挑戦して

最近、審査を通過した作品が載った雑誌が発売されました。

 

結果としては

600本提出して

一次通過が五本

二次通過がそのうち二本

 

賞はとれませんでした。

 

50万本の応募があって、

うち一次通過が1.何パーセントってかんじなので

 

まあしょうがないけれども

なんとも微妙な結果ですね、はい。

 

発売された雑誌をぺらぺらめくって

一緒にやった友達のコピーがすごくて

くやしいです。本当に。

わたしには、人をクスッとわらわせるようなこと言えないし

いわゆる剣豪系のコピーが苦手なんだけれども

剣豪将軍どっちもかけてて数もとおっててみたいな友達もいて

悔しいを通り越して、嫉妬心わいてきました。

 

一次の通過本数が実力って言われているし

自分まだまだだなって

調子のってたなって思いました。

 

 

でも雑誌みてたらちょっと違和感があって

一次通過の作品見てると

○○、別名○○!

みたいなやつとか

どっかで見たようなコピーにそっくりなやつとか

ちょこちょこあって

なんか

こんなこと言ったら怒られそうですけど

私が目指してるのはうまいことが言えるようになることじゃないって

思っちゃって

 

でも自分がその発想なかったから

同じ課題で一次通らなかったわけで、

こんなこと言う資格ないのもわかっているし

きっと入口はそういうとこからなのかとか思ったりもしたけど

 

ひとがクスッとわらってくれたり、どきっとしてくれたり

心があったかくなったりすること

 そこにメッセージがあることが

大事なんじゃないのって

思ってしまいまして

 

 もしかしたら、コピーと自分のやりたいこと、離れてるのかなって

また何がしたいのかわからなくなってきちゃいました。

やっと最近決意かたまったはずなんだけどなあ。

 

ただ二次通過した二本、サランラップ毎日新聞のやつ

自分でも結構気に入ってて

全然まだまだだけど

言葉の裏に言葉にならないメッセージみたいなのをこめられることが

すこしずつだけれども、できてきているのかなって

ほんのちょっとだけ自信ついたのは確かです。

 

大学卒業までに、あと二回、挑戦できるから

とりあえずの目標は一次通過数もっと増やすこと、

いっぽんでもいいから三次まで残すこと

人がドキッとするコピー書いて、絶対グランプリとりますがんばります。

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少し高いところから

外をみる

丸いかたちが

ひしめきあって

思い思いの方向へと

すすんでいく

涙があまりにも多すぎるから

お椀からあふれちゃって

しょっぱい水が空からふってきた

そんな涙を浴びまいと

みんな必死なんだ

毎日雨は降っている

しとしとと

心の窓を濡らしている

白紙の上

最近顔が変わりました。

 

整形したわけでも

化粧を変えたわけでもなく

 

何故か顔が変わりました。

 

顔が変わる前に

生活も、自分の考えも、いろいろなことが変わりました。

 

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こういったひとの枠があったら

その枠のなかで

なかの色とか柄とかだけが

かわるとおもってました。

 

でもその枠の形が、枠をつくる線が

歪んできて

ちがうかたちになっていました。

 

でもかわったらかわったで

きっとその枠のかたちと中の色と柄とかが

しっくりくるんだとおもいます。

 

枠からかわって中身がかわることもあれば

中身から変わって枠がかわることもある。

 

誰かが勝手に変えてしまうこともある。

 

でも結局自分が自分であるという事実だけは

残酷にも変わらない。

 

結局、白紙のうえに枠となかの色と柄が書かれていることだけは

どうしようもないことなんですね。

 

最近みんな君はこういう人間だとか

私は僕はこういう人間だからとか

主張したがるし

就活とかなんかいろいろなところでそれが求められてるけれども

所詮常に変わりうる絵にすぎないのだから

ただ自分は自分ですってだけで充分な気がしています。

 

ただ自分のことを一目見てもらえるだけで

何かを感じさせるような

そういった雰囲気を

持てていれば充分かなあと

思い続けています。